薬膳を食して学べるスクール | 岐阜県不破郡垂井町

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2021.11.24

代表のお部屋

二十三回忌

11月24日

父の命日でございます^ ^

 

満22年も経ったのか

長いようで早いようで

 

自由業

不動産鑑定士という一風変わった職の父

岐阜県の鑑定士さんを束ね、全国で一番?二番目だったかな、社団法人化した人物でした。

 

理論の田辺と呼ばれ、父が言う事にはみなが納得したと聞いております。

ある時期、銅像を建てたいと仰って下さった方もみえましたが、時代が変わり断念しますとのご連絡に、ホッとしました(^^)

 

その社団法人化に取り掛かる少し前から、家業を手伝い始めたのでした。

立派なお父上。立派なお父上。

そう言われれば言われるほど、反抗した10代^ ^

心配と過労が祟ったのでしょう。

 

1番大変な時期に、悪性リンパ腫に罹患しました。

その当時は告知なんてとんでもない時代です。

 

検査をしながら、仕事をする父。

目に見えてどこか悪い。と、分かってはいてもリンパ腫だとは中々診断がつきませんでした。

骨髄の検査をして、ようやく、、、医者にかかりだしてから何年過ぎていたでしょう。

本人も、辛かったと思います。

 

手術は出来ず、

入院。抗がん剤。

検査。

 

通院。抗がん剤。

検査。

 

、、、

 

繰り返し繰り返し。

私は、30を過ぎていました^ ^

 

最後は、遺伝ともいえるスキルス胃癌で。

みるみる痩せていき、半年程で23年前の今日没。

 

最後まで、抗がん剤のことは何も聞いてきませんでしたが、胃癌の末期、覚悟の自宅へ帰された時にポツリ。

ホントはなんかあるんやないか?

 

とっさに、パパが医者さんから聞いてることが全て。

そう答えましたが、それで良かったのか。

今でも、自問自答しています。

 

真実を知り、残りの時間をどう過ごすかまで私は奪ってしまったのかもしれません。

 

奇しくも、私の前厄に旅立った父。

 

その前後に、じぃじ・ばぁばが寝たきり。

じぃじは父のすぐあと。

ばぁばは14年程、頑張ってくれました。2人とも自宅から送り出しました。

いくつになっていたのでしょうか。覚えていないです。

 

父の没後、同業者へ再就職をし、父と同じく取りまとめの役職につく親方の元でバリバリ働きながらババを送り出したあと、やはり父のことが私の大きな転機になり、健康の事をもっと学びたいと今の国際薬膳師を取得し、講師→現在に至ります。

 

親方は82才。今年、事務所を閉めました。

おつかれさまでございます。

 

ひょっとして、微笑亭が、、の時はと、思っていたのかもしれません。

親方からもう止めると、聞いた時、これで私の帰る場所はなくなった。

とても複雑な気持ちになりました。でもその時に、色々と親方の気持ち。私への感謝。有り余る愛情を感じまして、今は吹っ切れております。

 

不動産鑑定業。関係の皆様、長いことお世話になりました。

ありがとうございました。

 

今日は父との思い出も、仕事の思い出も一気に溢れてきておりますが、整理をつけ、明日からまた初心にかえり精進して参ります。

 

父が眠るお寺^ ^

闘病中の母ですが、骨密度は同年齢の平均を上回り🥰ステロイド量も大幅に減ってきた嬉しい報告をしてきました😊

当たり前ですが、母が大好きな父でしたので喜んでると思います。家族全員を見守ってくれてる父へ♡ありがと(o^^o)

 

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